その腕と同じ雨が恋しくなる
豪雨
今横殴りの雨に降られている。
傘をさすのも億劫な重い雫
バスの停留所についた時、二人は当たり前のようにシャッターの閉まったクリーニング屋の軒下に駆け込んだ。
壁に背中をつければ、屋根がかろうじて濡れないだけの安全地帯をつくってくれた。
雨は嫌い。
雨の日の陰気な空気が嫌
湿った匂いが苦手
傘を閉じるのにいちいち濡れる指先はべとついて冷たい
跳ねた水溜まりは靴下を肌にくっつける
「止まねえなあ」
葉は雨より遠いどこかを見て言った。
そうねと同意を口にしながら、ひっぱりだしたタオルで腕を拭いた。
傘はさしていたけれど、狭い傘に二人で入ってものだから、腕がちょっと濡れていた。
「すまんな」
隣で葉が申し訳なさそうに笑った。
あたしは赤い傘を一本しか持ってなかった。
雨が降るから傘持っていきなさいよって言ったのに、忘れたのは葉だ。
でも腕どころか肩も、バカね、カバンまで濡らしてるのも葉。
だから言ったじゃないの、ていう台詞は言い飽きたから止めておいた。
左手のハンカチは、あたしの腕の僅かな雨粒を吸っても、まだぱりと乾いている。
葉は自分が濡れてるなんてお構いなし
寒くねえか、帰ったら風呂わかしてやるから、とかおせっかいな事言う
バカね 本当にあんたっておバカなんだから
「あんたこそ、風邪なんかひかないでよね」
ハンカチを押しつけたら、葉は過剰なくらいびくっとして、それから口の中で、「ありがとう」とか「すまん」と
かそんなような事を呟いた。
ハンカチを渡す時指が触れて、 急いで放したから落としかけたみたいで、 葉の焦った声が耳をついた。
その時の葉の表情は、さぞかし見物だったろうけど、あたしは靴の爪先を見ていたからわからなかった。
この距離で、向き合うのって意外と気まずいものじゃない?そうでしょ
さて弱まらない雨足は瓦をバラバラ叩く。
ごうごうと芽吹いたばかりの若葉が初めての試練に晒されている。
今、あたし達は、バスを待っていた。
学校から、家まで歩いて40分。
これがいつもの登下校に掛かる時間。
辺鄙なトコって言われる、未来のふんばり温泉となる、あたし達の自宅兼民宿は、町外れの田んぼの中に位置している。
つまりやたら遠いのだ。
でも、もし学校の近くからバスに乗ったら、炎のそばまで10分足らずで着く。それは夢のような幸せ。
こんな風に、雨やら雪やらでどうしても歩きたくない時だけの、二人分400円の贅沢。
折りたたんだ傘を伝う水滴が、乾いた地面に新しく、黒い小さな水溜まりをつくっている。
あたしの傘は甘い林檎みたいな赤い色。
葉のは炎にずっとあったという古びた黒い傘。そう玄関に置きっぱなしにされた可哀相な傘
朝、あたしが戸に鍵をかける時も、傘は下駄箱にひっかけられたままだった。
玄関の外で「早くしねえと遅刻するぞ」って曇天の下、あたしを急かす葉の手には傘なんてなかった
バカね。 そう思いながら戸を閉めた。
おバカ忘れたの? わかりやすく出しておいてあげたのに。
昇降口で空を見上げる葉に言ってやった。
他の生徒は次々色とりどりの傘を開いて、あたし達を追い越し、雨音のノイズの中に挑んでいく。
そこに一際鮮やかに、ぽんと赤い傘の花が咲いた
葉が色に引かれてこっちを見る。
「入るの入らないの?」
傘に顔を隠しながら聞いたから、葉の表情は見えなかった。
やがて傘があたしの手を離れ少し背を高くした。
ポリエステルの向こうで雨が音を奏で始めた。
二つぱしゃと足音が重なって、水溜まりに波紋を広げたのをずっと見てた。
雨はまだ、降り続けている。
ばらばら。絶え間ない雨の音。
雨より、きっと世界を包む暗さと重苦しさ、寒さが嫌で、あたし達はバスを待ち続けた。
「遅い」
「雨の日ってバス遅れるんよなあ」
打てば響くように旦那が答えた。あたしはそれに満足して、また口を閉じてバスの来る方向を眺める。
見てたって何もおもしろくないけど、隣にいる葉を見たって仕方ないもの。
座って帰れるという幸せが待ち遠しい。
もし、一ツしか席が空いてなかったら、葉はきっとあたしに顎でシートをゆずるんだ
横に立って見下ろされるのは嫌い
葉はそういう時、小さい私を見下ろして、何やら照れくさそうに良く笑うんだから。嫌になっちゃう。
ああ、でもそう、万一
前後で席があいてたり、離れた席があいてても嫌だわ
葉はそれでも、あたしの傍にいてくれるだろうか。でも、あたしは「座れ」って言ってしまうだろう。
でも離れて座るのって、すッごく落ち着かないじゃない?そうでしょ
二人用の席があいてたら、並んで座れる。
雨に冷えた太ももがくっついて、きっとあったかいだろう。
何より円満だもの。そうよ、それがいい。
歩きたくない、座りたい。この怠惰な気持ちは陰気な雨に良く似合う。
この時間のバスは10分ごとには来るはずだけど、時計は持ってないから、どれだけ待つかはわからない。
一昨日から替えた半袖のシャツから出る腕が肌寒く、濡れたところを温めるように手で擦っていると、横から視線を感じた。
「寒いんか?」
「寒いわよ」
じいっとこっちを見る黒い瞳の先は居心地悪くて、あたしはぷいと顔をそらした。
したら葉は、何か気分を害したようにため息まじりに呟いた。
「だから半袖はまだ早いって言ったじゃねぇか」
生意気にも。
「うるさいわね。濡れたとこが冷たいのよ。誰かさんのせいで」
言ってしまってから後悔した。
葉が今度は謝らずに黙り込んだ。
・・・怒ったの?
言うんじゃなかった。
一言多かった。
しつこいかなって思ってたのよ・・・ いい加減
でも勢いだろうと一度放った言葉は、どう取り繕ってもしまえない。
すると、葉が口を尖らせて言い捨てた。
「じゃあ教えてくれよ、今度は」
えっ。
「傘、オイラが忘れてんの気付いてたんだろお前は」
かっと頬が熱くなった。
だって葉がさ、生意気なこと言うからだから怒ってるのよ。
睨んでやろうとしたら葉と目が合った。
そしたら葉の頬も思いの外赤くって、お互い顔をそらして無言 ―気まずい。
「うるさいわよっ」
心底苛々を吐き出すように言った
「・・・・・・・・・すまん」
すると葉は、元通り、情けなく謝った。
がりがり
傘の先で水溜まりをひっかく。水溜まりからひっぱった水の線で、コンクリートにバって描いた。
いびつなのが若干不満だったけど、もう一度傘の先を水に浸すと、隣にカも書いた。
「バ・・・・カってなんだよ!」
「あんたの事よ、ほんと、あんたって馬鹿っイライラしちゃう」
「お前はなんでそう・・・」
「何よ?言いたいなら言いなさいよ!」
あたしがそんな風に声を荒げると、葉は顔をしかめて、いきなり手を突き出した。
一瞬突き飛ばされるのかと思ったら、その手はあたしの肩をつかんで、逆に乱暴に引っぱった。
「きゃっ」
足がよろめいた拍子に葉の胸にぶつかった。
突然の衝撃にびっくりしたこと、結果的に今、葉の肩に顎をくっつけるようにして密着してる状況に焦って、
すぐ離れようともがきかけて、やっと背中にある、葉の手の存在に気づいた。
「・・・・いじっぱり」
ぽそ、と葉が呟いた。
耳が、・・・・くすぐったい。
「そんなんじゃ・・・」
震えて途切れた台詞は ときめきだったのか驚きだったのかわからない。
肩に頭を乗せている葉が、唇を耳の下にくっつけてきたから、それがどういう事なのか、理解するのに思考回路が必要だった。
どき、どき、する。
あたしが、あたしまで葉の服を握るのは、だってふらふらする頭が、今にも足の力を奪いそうだから
肩の骨っぽさに頬をつけたら、ちょっと安定した。
葉の体が固いのは知らなかった。
服の中に腕があること、腕の下に筋肉と骨があること、知らなかった。
抱き締められることがこんなに暖かいなんて、知らなかった。
車道を走る車が側溝の水を跳ね上げる音がする。
葉の心臓の鼓動と呼吸が聞こえる。
胸が痛いほど音を刻んでいる
バスが来ても葉の腕はほどけなかった。
ドアが一度開いたけど呆れたみたいにまた閉じて行ってしまった。
「・・・あたし・・・・」
バスが去り、あたりをまた雨音だけが包んだ時、あたしは口を開いた。
「見たいテレビがあったのよ」
葉は一拍置いてすまんと言った。
今までのどの「すまん」より、近くで聞こえた。
首筋に触った息に、言葉が吐息と共に発される事を初めて知った。
「じゃあ次のバスまで」と付け足したから
本当に見たいテレビだったのよ、とは言わずにおいた。
あんたって意外と、強引なんだって
豪雨
鼓動を消すほど雨足は今も強まり続けている
知ってる これからは 一雨上がる度に暖かくなっていく事
あの日あなたがあたしに教えたのは、湿った空気さえ愛しく思わせるぬくもり
あの日あたしが知ったのは人肌の恋しさ
降るたび思い出す
聞くたび思い出す
もう一生逃げられない
このおバカどうしてくれるのよ
やっぱり雨なんて、嫌い
***
可愛かったんだと思います。雨に気分が沈んだら読んでくださいな
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