四月
あったかいの
好きだわ
柔らかいの
好きよ
「ぅおっ!?」
過剰なほどすっとんきょうな声を上げて、葉はもってたジャンプを落とした。
本が葉のあぐらをかいた膝から畳におちて、妙にきれいにばさりと閉じた。
「あ・・・アンナ・・・!?」
葉がわずかに目線を動かすだけで、容易にその姿をとらえることができた。
丁度その髪が大半、白い額が少し、長いまつげがちらりと。
だって彼女は、葉の肩の横に頬をくっつけて、あまった腕で葉に抱きついていたから。
「な・・・何だよお前」
許婚のこれ以上ない密着感に、葉が狼狽とともに見る間に赤く染まるのも、アンナは知らんというふうに、ただふうと長く息をついた。
「アンナあ・・・?」
何だこりゃ甘えられてるのかていうか誘われてるのかと
葉の思考が光速で変化するのを、アンナが不釣合いなほど穏やかな一言で断ち切った。
「あったかい・・・」
その言葉につられるように、縁側の向こうでスズメがチュンと鳴いて飛び去った。
うららかな日曜の午後。
赤いトレーナーの二の腕にくぐもったアンナの声は、葉の頭を数秒フリーズさせてから、
突然
(かわいい)
という脳の呟きと同時に、また新しい熱を顔中に植えつけた。
「どうしたんよ・・・甘えてるんか?」
照れを強気で隠す口調。
「そうね」
その言葉に葉がまた赤くなるのを、今度は顔をあげて見た。
それからもう一度葉の肩に頬をつける。
体に巻いた腕にもう少し力をいれた。
そしてまた吐息と一緒に呟いた。
「抱きごこちがいいのよ」
すりと林檎のように赤いトレーナーに、ま白い頬をこすりつけて。
「あんたのトレーナー」
葉は一瞬ぽかんとしてから、ゆっくり復唱した。
「トレー・・・ナー・・・?」
「トレーナー」
アンナが繰り返した。
葉は眉をわずかにしかめて、トレーナーの赤を背景にアンナを見た。
そのトレーナーはかつて真っ赤だったトレーナーで、
ロゴも何もないこの上なくシンプルなものだった。
HEIYUで税込み1990円。
いつだったかのセール品だった。
東京に出てきたその冬に買った。
度重なる洗濯の試練に、もはや真っ赤とはいえなくなった代物。
それに今アンナがしがみついていた。
「肌触りがいいの・・・・あったかいし」
少し眠そうにアンナが呟いた。
それを目だけで見おろして、葉は唇を曲げた。
うわ何かすげえアンナかわいいぞ困ったこいつはオイラの理性がもつんかな
アンナは葉の胸の前に渡していた手をゆるめると、指と手でするするとトレーナーの生地を確かめるように撫で始めた。
「おい、くすぐったい、って、アンナ・・」
それだけじゃねえんだけど気づいてないんか
と葉が思った時、突然アンナが顔をあげて、葉をまじまじと見つめてから、短くハッと笑われた。
絶対気づいてる・・・
少しイラッと来たのも触れてくる柔らかい胸やらに邪魔されて、あっと言う間にかきけされ、
またそこは穏やかな午後の空気。
「・・・そんなに気持ちいいんか?」
伏せた顔を覗き込むようにして葉が問いかけた。
そういえば前にも、アンナに突然抱きつかれたことがあった。
思い返せばあの時もこのトレーナーを着ていたような。
「あたしあんたのトレーナーでこれが一番好きだわ」
「・・・じゃあオイラ脱ぐからアンナ着ていいぞ」
こっそりワンピースの肩に手を添わせたら、素早く手の甲をつねられた。
「何かしたら承知しない」
「う・・・」
「動くんじゃないわよ」
「うぇっ・・・?!」
そうして時間がたっていった。
日曜日の午後、何をするわけでなくまどろめば、何故かいつもより時間の経つのは遅い。
牛の歩みよりのろく億劫なそれを、こんなに心地よいと感じるのは初めてだった。
「あったかいわね」
「そうだな」
「外がよ」
「おお・・・だな」
「・・・もうそろそろお別れね」
「そうだな」
葉は首をひねると、アンナの頭に呟いた。
「オイラ来年も着るぞ」
「そうして頂戴」
「再来年も着るし」
「そう」
「ずっと」
「そうね・・・」
「そうして・・・」
最後の一言は、冷めかけた茶の湯気のようにはかなく消えた。
「なあアンナ」
葉がぽつりと続けた。今度は不釣合いなほど真面目な顔で。
「オイラずっと」
「お前と・・」
アンナの耳に、葉の声が小さく聞こえた。
とても遠く遠く聞こえた。
ただしぬくもりだけは変わらず傍にあった。
トレーナー着るあんたはまるで大きなぬいぐるみ
あたしだけの抱きまくら
抱きつけばどこよりも安らかに眠れる
落ち着くアンタの鼓動
赤いトレーナーにつけたされていくぬくもりが、
生地を超えて中に着たシャツを超えて肌に染み込むのを感じていた。
目には赤に映える金髪が、生地に静かに寄り添っているのが見えた。
「アンナ・・・」
返事はない。
ただ温かいだけ。
やわらかいだけ
愛しいだけ
「アンナ」
「聞いてるか?アンナ」
「おい」
「なあアンナ・・・」
あったかいの好き
やわらかいの
好きだわ
肌触りがいいのも
ふんわりとした厚みも
アンナの脳をうつらと眠気が包み終える直前に、額に何かが触れてきた。
薄く目を開いて少し顔をあげたら、今度は唇に同じ感触が触れた。
葉がアンナの腰に手をまわして、自分の膝に持ち上げた。
夢見るように緩い動作で。
二人がお互いをぎゅっと抱きしめると、
葉もアンナの言葉を、心の底から理解した。
でも本当に好きなのは
きっと
中身
赤くなってる
アンタが
いるから なの
ねえずっと
そこにいて頂戴