家から
遠い遠い空の下で、
東京では見られない満天の星空の下で、人工的な光を一つ、手にしていた。
この部族の誰もが、携帯電話など初めて見たという。昼間は散々持て囃された。
といっても、もちろん電気も来てないこの村じゃ、電波はもっての他、充電さえできない。
たった今、電池が二個から一個に減った。
ちょっと見たら消すしかねえなあ、と思いながら、もう何分、液晶画面を眺めているんだか。
小さな画面の中で、遠い遠い空の下にいる、嫁と息子が笑っている。
もしも、マンキンに写メがあったら
「おお、これが携帯か」
ふんばり温泉のちゃぶ台に、二人分の携帯の包装と説明書を広げて、
オイラ達は初めての携帯電話をこね回していた。
「すげえな、ちっちぇえのによ」
「ふうん、で、電源はどこよ。たまお」
隣では、こちらも同様、初めての携帯を手にパカパカ、開いて閉じてを繰り返しているアンナ。
「あ、ここですよアンナ様・・・それは、あっ、あのカメラです、アンナ様、ここを押してください、はい、あのもう少し長く、ぎゅっと・・・、そうです、はい」
「あら、ついた・・・ふうん。で?」
「おいたまお、こっちもやってくれよ」
「父ちゃん・・・、電源ってここに書いてあんだろ」
「おお、ほんとだ」
大の大人が二人とも、説明書は苦手だと言うので、たまおと竜と花が先生役になって携帯の基本操作をレクチャーしていた。
「ややこしいなあ」
「ほんとに、めんどくさいったら」
「最初は誰でもそうですよ、すぐ慣れますよ」
言われてふと、葉は自分の手のオレンジ色の携帯と、アンナの手の赤い携帯とを見比べた。
視線に気づいて、アンナが顔を上げる。
「何よ」
「いんや、初めてのもんはいつもお前とだなと思ってよ」
「なあに言ってんのよ・・・」
そんな会話を聞いて、そうなんか、と素直に頷く花の横で、
意味深だ・・・
と黙り込むたまおと竜の姿があった。
そんな風にオイラとアンナが携帯デビューを果たしても、この歳まで携帯を持たなかった手前、オイラ達にとってはやっぱり携帯は使い慣れなく、最初の頃は持て余すばかりだった。
でも徐々に仲間達―ホロホロや、蓮やまん太達に『アドレス』や『番号』を聞いて、輪が広がると、ようやく楽しくなってきて、自然と生活に溶け込んできた。
さて、そんな携帯のある日々を半年くらい続けた頃、テレビのCMで、高画質カメラの携帯がなんやら・・・という映像を見た。
「へえ〜今の携帯ってのは写真がとれたりすんのか。すげえなあ」
と感心していたら、偶然廊下を通りかかった花が、盛大にずっこけた。
「父ちゃん!何言ってんだよ!父ちゃんの携帯にもついてんだろ、カメラ!」
「え、そうなんか?」
「ほらあ、ここ!なんっで気づかねえんだよ・・・」
花は部屋に入るなり、オイラの携帯をひっつかんで、なるほど携帯の外面についた、小さいレンズを指差した。
「おお、マジか」
「父ちゃん・・・」
オイラと花がレンズを拭いたり、カメラ機能を起動させてると、アンナが珍しそうに首を伸ばした。
「へえ、あんたのはそんなのが付いてるの・・・」
オイラと花は一瞬顔を見合わせ――それから二人同時に、アンナを見た。
携帯デビューから半年、ようやく『カメラ機能』の存在を知ったオイラ達は、しばらく物珍しげにあちこち写真におさめた。
仏花を撮ったり、たまおを撮ったり竜のリーゼントを撮ったり、花を撮ったり、嫌がる花をおっかけて撮ったり、嫌がる花を捕まえて撮ったり、キレた花に強烈なキックを受けたり、した。
そんな中で一つだけ撮れないものがあった。
さりげなく、でも本心はメインイベントのつもりで「お前も一枚」と言ってみたらビンタを受けた。
予想通りというか、なんというか。
アンナはオイラがビンタに倒れているうちに、部屋に閉じこもってしまった。
数日後、珍しく、ふんばり温泉に、オイラとアンナ二人きりの昼下がり、思いつきで縁側で空の写真を撮ってたら、
後ろをすいっとアンナが横切った。
偶然手元に携帯、しかもカメラ起動中、こんなチャンスは二度とないと思った。
「おいアンナ、」
振り向いたアンナに不意打ちの、シャッター音。
「えっ、ちょっと・・・!何すんのよ!」
携帯を取り上げようとするアンナの手を避けて、意気揚々と写真の出来を見下ろした。
が、・・・ため息。失敗だった。
アンナは憤慨して詰め寄ってくる。
「消してよ」
「やだ」
「消してったら!」
アンナがあんまり声を荒げるのでオイラは口を尖らせて、失敗して、全体がぼやけただけの写真をアンナに見せ、削除した。
「ほら、消しただろ・・・どっちにしてもブレちまったし」
「悪いことするからよ」
「・・・だってよ、お前の写真って全然ねえだろ」
「写真嫌いなの」
「知ってるけどよ・・・・オイラなら良いだろ・・・一枚ぐらい」
「やあよ」
「お前がそんなだから、中学の修学旅行の時の、お前の写真だってすげえ競争率でなあ・・・」
思わず思い出を口にすると、ん、とアンナは訝しげにオイラを見た。
いらん事を言ってしまったと気づき、口を押さえた。
アンナはちょっと睨んだだけで、ふいっと向こうを向いた。
森羅学園2年の春の、修学旅行の後、廊下に貼りだされた大量の写真。
その中で一枚、アンナの写真があった。
遠くを見てるアンナをバストアップで納めただけの一枚だったが、狙ったとしか思えない素晴らしく良い出来で、一見するとアイドルのプロマイドのようだった。
男子生徒の注文が殺到した挙句、手に入れられなかった者も続出し、ついには体育館裏で高値で取引される事態に陥った。
オイラは一枚、長らく財布に入れていた。もちろんアンナは知らない。
それで、たまに眺めたり、忘れたり、また思い出して眺めたりしてたが、世界をまわってたある日、財布ごと無くしてしまった。
「何をそんなに必死になってるのよ・・・もう諦めたら」と眉を顰めるアンナを尻目に、
探偵・リゼルグにも頼んで方々手を尽くし必死に探したが、ついに見つからなかった。
今も思い出す度に悔やんでいる。
「お前・・・花と一緒の写真も・・・」
言いかけて、口をつぐむ。
その原因を作ったのは、自分だった。アンナにはたとえ謝っても、戻らない6年の壁だ。
実際、たまおと花の写真はたくさん存在してる。
アンナが気にしてないわけないのは、オイラも知ってる。
「今更母親と写真なんてとる歳じゃないでしょう・・・あの子だってさ」
背中を向けたまま、気丈なふりして言うから、どうにも堪らなくなって、腕を掴んで引き戻した。
「いいだろ、一枚」
それが、どんな懇願の表情だったかはオイラにはわからないけど、アンナはじっと目を合わせて、不満そうな顔をしばらくした後、こくりと頷いた。
「一枚だけよ」
「おお!」
「失敗したらそれ終わりだから」
「なっ・・・ああ・・・」
アンナはぺたんと縁側に座った。
オイラもそこに胡坐をかいて、カメラのレンズをアンナに向けた。
小さな携帯の画面に、アンナがもう一人、閉じ込められる。
が、その表情があんまりツンとすましているので、吹き出した。
「しかめっ面すんなよ」
「してないでしょ」
「ほら、もうすぐ花が帰ってくっぞ」
「早く撮りなさいよ・・・」
「アンナが笑ったらな」
「もう・・・・やめとけば良かった」
液晶画面の中で、アンナが顔を上げてオイラを見る。
そうだ、あの写真を、無くしてしまったあの写真を超えてやろう。
オイラだってな、こういう事は結構、自信が・・・
「はい、チーズ」
ぶれないように気をつけて、気をつけてシャッターを押して、カシャッ、時が止まる。
オイラは食い入るように画面を見つめた。
膝の上に手を降ろして、自分のした偉大な仕事にただ、ただ目を奪われた。
「撮れたの?」
アンナが覗き込んで、オイラは目の前に現れた実物のアンナにぎょっと後ずさった。
「何よ、見せて」
「いや、これは」
「どうしてよ、あたしでしょう」
「そうだけど・・・・」
近付くアンナが許せなくなって、オイラはその体を力任せに抱きしめた。
バランスを崩したアンナが、不満の声を上げるけど、腕を解かずにいたら、そのうち抵抗が止んだ。
「誰か来ちゃう」
「そうだな」
アンナが胸を押して、オイラはやっと腕を解いた。
「花が帰ってきたら次は3人でとってもらうか」
いやよ恥ずかしいとアンナが言うので、オイラはセルフタイマーを覚える事になった。
***
今、画面の中には、一家族の風景があった。
大事で貴重な一枚だったけど、写真としては、皆が緊張しちまってだめだ。
花とアンナのしかめっつらには笑っちまうが、その後二人ともがこっそり、オイラのとこに来て、それぞれが自分の携帯に送れと詰め寄ってきた。
あいつらは良く似てる。オイラが一番良く知ってる。
画面をアンナの写真に切り替えた。
照れて、でも、優しく笑って、髪の毛が、この夜空の星みたいに光ってる。
オイラの方見て、オイラにだけ笑ったアンナだ。
可愛いなあ、
花も可愛いけどな、
オイラの嫁はきれいだ。
今、会いてえな、帰りてえな。
そんな事したら、アンナは「仕事投げ出して何やってんのよ!」って怒るんだろうな。怖え怖え。
花は「お土産ねえのかよ!」って怒るんだろうな。まったく
「あ」
その時、聞きなれた、ピピッ、ピピッという寂しそうな電子音が鳴って、アンナの姿は消えてしまった。
数秒後には成す術なく画面は完全に真っ暗になり、見上げるオイラの情けない顔が映った。
「あーあ・・・」
オイラは携帯を握った手をばたんと横に投げて、空を見上げた。
今見えるこの星のいくつかは、ふんばりが丘からも見えているだろうか。
寝転ぶ大地の続く先で、寂しがってないだろうか。泣いてないだろうか。
いいや、きっとあっちは大丈夫だ。アンナには花がいる。
そっか、一番寂しがってんのはオイラの方だ。
寝るかな、とオイラは大あくびをした。草いきれの匂いが胸まで満たした。
そうだ、夢で会えるかもしれんしな。
柄にもなくロマンチストな事を思ったもんだとほくそ笑んで、目を閉じた。
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