圧倒されるとはこの事
葉は山の中、彼方まで続く鳥居の道の、その入り口に佇んでいた。

生い茂る木々の狭間に、夏の日の日差しよりずしりとした存在感を持って、赤い鳥居が延々と並んでいる。
一点透視で徐々に小さくなる鳥居の渦に視線は吸い込まれ、葉は唾を飲み込んだ。
耳の奥がみしっと言った。

麻倉の家に伝わる諸々の行事だったり
そういったものを数こなしてきた葉でさえ、この霊的な風景には寒気を感じた。
チリチリと肌が粟立つのは、シャーマンとしての本能だろう。
葉は深呼吸をしてから、一歩、千本鳥居の中へと踏み込んだ。














とじはくこいなり、せんこたたずむ



















“いつ む なな や ここの たり”

歩いても歩いても、終わらない鳥居の参道に、葉は立ち止まって汗を拭った。
何気なく振り返ると、もう入り口さえ見えなくなっていた。
ふと黄泉の穴の記憶が甦る。
自分の手を開いてみる。そこにあった。大丈夫だ。
鳥居は現世とあの世の境界線だ。
ならこの千本を越えた時、自分はどこにたどり着くんだろうか。


ちりん



鈴の音だった。
即座に踵を返す。



カラン、


下駄の音が続いた。



連なる、赤い鳥居の道は少しうねっていて、その向こうからゆっくり少女が近付いてきた。

鳥居と同じ赤い浴衣の裾から、真っ白い足が見える。
もろく華奢な踵を守るように、下駄がかわりに石畳を叩く。

金色の髪に、笠木の間から日差しが落ちて輝いた。


アンナはゆっくり俯いていた顔を上げ、棒立ちの葉を瞳に映した。
結ばれていた形のいい唇を開き・・・



「遅い」



一拍置いて、葉がはっと我に返る。

「す・・・すまん」

「まったく・・・一人で行こうかと思ったわ」

アンナは数歩の距離を詰めると、葉の顔を睨みつけた。

「き・・・着物、どうしたんよ?」

葉は途端に困ったように顔をそらして問う。
朝別れた時、アンナは着物を着てはいなかった。
それもそんな真っ赤な着物に、葉は見覚えがなかった。

「夜に近くで縁日があるらしいわよ」

「・・・ふうん」

答えになってねえけど、と葉は心のうちで呟いた。
アンナは何やらそわそわしている葉に、遅刻を怒る気も失せてしまい、深くため息をついた。
すると思い出したように、葉が切り出した。


「鈴の・・・」

「なに」

アンナが隣で小鳥のように首を傾げる。

「鈴の音が、した」

「これ?」

アンナは腰につけた、キーホルダーを弾いた。

「シャコちゃんキーホールダー・新発売鈴付きverよ」
「おめえそれ好きだなあ・・・」

得意げに鈴を鳴らし、アンナはふん、と胸を張る。
それでようやく、葉は照れずにアンナの顔を見れるようになった。













「それにしてもすげえ鳥居だよな」
「そうね」

二人が歩いているのは、千本鳥居で有名な、伏見稲荷大社。

全国に広がる『稲荷』神社の、その総本山がここだ。
山の麓の本殿に参拝した後は、千本鳥居を抜け、山の上の参拝所を回るというのが二人の目指すコースだった。
稲荷山の奥まで続く千本鳥居は、聞けば千本どころか約一万基もあると言う。
葉は地図を見て、そしてアンナの意気込んだ表情を見て、気が遠くなった。


「ここの鳥居は全て奉納されたものよ。人の信仰心ときたら恐ろしいものだわね」


ところで何故わざわざここに参る事にしたかと言うと、稲荷神には商売繁盛のご利益があるからだと言った。
昨夜泊まった旅館の一室で、アンナは夢見がちな少女のような、商売人のようなキラキラした目をして、葉にそのいきさつと、経営のあれこれについて力説した。



「稲荷っつーと狐だな。コンチみてえなもんか」

するとアンナはきっと葉を睨む。

「本来の意味だと稲荷は穀物の神の事。狐はその稲荷の使いよ。どっちにしてもあんなのと一緒にするんじゃないわよ」

「おめえ良く知ってんなあ」

睨みを受け流して、葉はユルユルと答えた。
狐、狐。コンチの顔が浮かぶ。思わずニヤついたら、アンナがその頭を叩いた。

「ん?狐は神の使いなんか?」

力任せに殴られた頭をさすりながら、葉は呟いた。

「そうよ。言ってるじゃない」

「でもよ、狐って何かとイメージ悪くねえか。人を騙すとか、狐憑きとかよ」

コンチには悪ぃけど、と葉は付け足した。

葉がまだ小さい頃、一度、麻倉の家に若い女性が運び込まれた。
女性は狐憑きだった。
使用人やら母が、必死に暴れる女性を押さえつけて、傍らで葉明が汗だくで祓っていた。
あの時の迫力と、女性にのしかかった大きな狐の影は忘れようもない。

「神の使いよ・・・善狐はね」

前を向いて話すアンナの肩を、日差しと影が交互に通り過ぎる。

「善狐と野狐とわけるの。前者が神の使い。後者がそれ以外の狐。
それと・・・妖弧。悪狐とも言う。九尾の狐とか悪いことする狐はこっち
良い狐もいれば、悪い狐もいるってことね・・・・・・人と同じ」

アンナは最後の言葉を、ほとんど口の中で付け足した。
葉と言えば傍らで、アンナの唇が動くのをじっと観察していた。

「ちょっと聞いてるの!?」

「うぃっ!」

アンナの大声に、葉は条件反射で背筋を伸ばした。
と、その時、ぽつり、と、頬につめたいものが降った。
同時に空を見上げる。

ぽつり、ぽつり

すっきりと晴れ渡る空から、ぱらぱらと雨の粒が落ちてくる。


「あら・・・狐の嫁入りだわ」

「おもしれえな」


二人は見上げていた顎をおろした。
自然な流れで、目が合った。

ぽつ、ぽつ、

緑に色づいた木の葉に、雨の粒が当たる音がする。

「・・・なによ」

葉はまたも、先ほどアンナと会った時のような、不思議な気分を感じていた。
手を伸ばして、アンナの頭の上にかざす。
どれだけささやかで無意味な行為かわからないけど。

「・・・・濡れちまうな」

この手をおろして、ここでアンナの髪を撫でてみたら、彼女はどんな顔をするだろう。
そんな事を葉が悶々と考えていたら、

「良いわよ、これくらい。すぐ止むわ」

アンナはその手をくぐって、さっさと歩き出した。
葉は決まり悪さと気恥ずかしさを抱えながら、その後ろを追った。














依然として赤い鳥居は終わらない。
雨ならとっくに止んで、相変わらず蝉が元気に鳴いている。
どれだけ歩いてきたのか。いい加減ぬけてもいいんじゃないかと、二人が思い始めた頃。

「狐の嫁入りか」

葉が呟くと、丁度アンナも同じ事を考えていて、旦那の顔をちらりと見た。

「狐が人間の振りをして人間と交わる話は珍しくないわ」

「狐がなあ・・・他の動物じゃいかんのか」

「さあね」

そこでアンナはしばらく考え、それから口を開いた。

「・・・大昔から、狐が神の使いだという信仰があったなら、
狐は他の動物より、何か特別な力を持っているという意識が強かったのかもね。
特殊な能力は、信仰されるか忌み嫌われるかのどちらかだから・・・そのうち妖怪の類として・・・」

アンナの言葉が続いてる。
けれど、葉の耳には言葉が入ってこない。
さっきは口が気になっていた。
今は着物の襟から覗く、真っ白なうなじがあんまり温かそうで・・・

「葉!」

アンナのしかめっつらが目の前にあった。

「へ・・・」

面食らって呆けていると、アンナは肩を落とした。


「白弧は清明を産んだって伝説よ。あんたも麻倉の一族なら覚えておきなさい」




―――――キツネの子!

バシッと頭の中に一瞬、見たこともない映像がフラッシュバックした。
葉に向かって放たれたのは子供の声だった。


「・・・冗談言うなよ」

急速に枯れた喉から、かすれた声が漏れた。


――――――――いずれ尻尾を・・・


今度は大人の声が聞こえる。・・・何だ?

目の前にはアンナがいた。
真っ赤な着物を着た、やたら美しい嫁。
頭の中でさんかくの耳をくっつけたアンナが、獣の鳴きまねをして笑った。着物の後ろにふわふわ尻尾がのぞいてる。
かぶりを振って、馬鹿な妄想を振り払う。

「狐が人を産むわけねえだろう」
「そうね・・・」

アンナは少し、沈黙してから、その目で葉をまっすぐ射抜いて、言った。

「じゃあ何が産まれたのかしらね?」












何なんだ?

狐の話じゃない。アンナの話だ。
見ていると、また、アンナがくすりと笑う。
その表情が本当に可愛くて、一瞬こっちを見上げた目があんまり綺麗で、葉はぎゅっとしたものを感じてついに足を止めた。

それに気づいて、アンナも足を止めて振り返る。

「葉?」

「どうしちまったんだろうな・・・」

葉は額を押さえる。
その手を下ろしても、やっぱりアンナから目を放せない自分が居た。

「今日はやばいんよ・・・何か知らんが」

そんな葉を見て、アンナは怪訝そうに距離をつめる。

「葉・・・あんた、どうしたの?」

「オイラじゃねえ・・・お前がだ」

「?・・・どこか痛いの?」

心配そうに伸ばされた手を、初雪みたいに真っ白で繊細な指を、思わず握って引き寄せる。
やっと、やっと皮膚に伝わったアンナの感触に、全てが支配されていく。


「・・・お前、すげえ綺麗だ」



昔 紂王を誘惑し 殷を滅ぼした千年狐狸精・妲己は絶世の美女であったという。

昔 鳥羽上皇に寵愛された、白面金毛九尾の狐・玉藻前は、この世のものとは思えない程の美貌の持ち主であったという。

ならこの子は?






「・・・アンナ」

ゆっくりまばたきをしてからアンナはオイラを見つめ返した。
澄んだ目の中に葉は自分の姿を見つけた。背景には遥か遠くまで赤い鳥居が映り込んでいる
葉は目を細めた。
背筋をつっと滲み出た汗が流れ落ちた。

「お前・・・・」

「なに」

またアンナが、小首を傾げる。
瞬きすれば、長い睫の影が頬に落ちる。
目が釘付けになる。

「ずっと、お前の事猫みてえだと、思ってたけど・・・でも」

「猫?なあに・・・それ」

もう片方の手が勝手に伸び、アンナの着物の肩を掴んだ。
布を通して、着物の中の華奢な肩と肌の感触が分かり、突然言い様もなく奮い立った。

「アンナ・・・こっちに・・・」

もっと近くで見たくなった。
キラキラ光る髪のにおいを嗅ぎたくなった。

「なに・・・」

アンナは呼ばれて答えるように端整な顔を近づけた。
お互いの口に息がかかる。葉は自分の中で何かが千切れるのを感じて、アンナを乱暴に抱き寄せて唇を重ねた。


「あんた・・・変よ、今日・・・」

てっきり無抵抗に受け止めてくれるかと思ったのに、アンナは濃厚な口付けの合間、葉から顔をそらすと、顔を真っ赤にして、腕の中で少しもがいた。
その様のいたいけさに、また、ドキドキして、葉はそれをもう一度掻き抱くと、ぐっと捕らえなおした。
アンナの髪のにおいと、着物の古いにおいが混ざっている。

「変なのはお前だ・・・なんで・・・!」



と、

鳥居の壁の向こうで、獣が一匹、聞きなれない鳴き声を上げて、森の中に駆けて行った。

一瞬の事だったけど、ふわっとしたしっぽを確かに見た。


二人は抱き合ったまま、ただただその方向を見つめるしかなかった。






「ああ、・・・やられた」

ややあって、葉が呟く。笑うような声で。

「二人揃って化かされるなんて・・・あたしも、まだまだね」

まだ葉の腕にまどろみながら、アンナも続いた。




ようやく二人きりになったので、さて、どうしようかと目で会話をしてみる。
数秒後、結局二人は、手に手をとって鳥居の間を抜けると、木々の間に隠れに行った。



























長い道のりをどうやってか歩いて
気づくとすっかり暮れた空の下、鳥居の最後の一つを、背中にして歩いていた。
いつ繋いだか握った手を、夏の夜の涼しい風が冷やした。

不思議な事に闇の中でも、アンナの着物の柄ははっきりと見えていた。
妖術は解けていたけれど、やっぱり葉の目に、アンナは今日も綺麗だった。
赤い着物はアンナに良く似合っていて、ほどいた髪はさらさらと肩に揺れている。


葉がもう一度その名前を呼ぶと、アンナは微笑んでこちらを見上げた。



























***
アトガキ

KZB千本鳥居を歩くアンナを見てやった。後悔はしてない。


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