男なら
自分の頭の上を土足で歩く人間を怒りもせずに穏やかに受け流せるのは寛大でなく負け犬。
















前夜

















アンナは立ち止まっていた。
隣には葉がいた。
目の前にはホテル・ニューキャッスルがあった。
休憩は3700円、宿泊は8000円だ。俗に言うラブホである。
アンナは頬を赤くしてホテルの入り口を睨んでいた。
その肩には葉の片腕がまわっている。
感想を述べるとしたら・・・・・・重い。ものすごく。
それから目を伏せた彼の頭も細い肩にのっかっていた。こう顔が近いとなんというか・・・
酒臭い。そしてやはり重い。
それもそのはず、葉はほぼ全体重を、しなだれかかるようにアンナの体に預けていた。

麻倉葉は泥酔していた。

今にも眠りそうな葉はアンナの見る先になんて目もくれずに、またこっくりと頭を落とした。
途端に葉の体重がずっしりアンナの細い体からヒールの足にのしかかり、アンナは危うくバランスを崩しかけた。
何とか持ちこたえると、苛立ちとともに肩に乗る男の頭をばちんと叩いた。
葉はむにゃと言っただけでまた目を閉じてしまった。
今日は珍しく葉が「もうちょい飲むかあ」と誘って、また珍しくアンナが付き合った。
そして結果珍しくも二人きりで仕事の後の時間まで付き合うことになった。
珍しいというか初めてだった。いつもなら意地でもついていくハオは今日は先に帰っていた。
そして連れ立ってあちこちの行き着けバーを梯子すること数時間。
すでにまっすぐに立てないほど、葉が酔ってしまっていることに気づいたのはついさっきだった。
そんな状態の葉を、何とか引きずってビンタして、引きずってビンタして、引きずってビンタして頬が腫れて、いい加減体力といらだちも限界に来たところで見つけてしまったピンクの看板。
どうだこのナイスタイミング、とばかりに目の前にそびえたつ安宿。

「アンナ・・オイラ便所に行きたいんよ」
「ちょっと待ちなさい」

ほっぽりだしてしまおうかと何度思ったか知れない。
タクシーに押し込めてしまおうかとも何度思っただろう。
しかし30分前葉の発したある台詞が、アンナの頭にこびりついていて、そのせいで、アンナは彼を放り出せなくなってしまった。

「今日は帰りたくないんよ・・・」

そんな、どこのドラマの誘い文句かと思う情けない台詞を吐いたのは葉だった。
最後に意識がはっきりしていた時に苦くこぼした一言だった。
それを忘れられていたなら、アンナはとっくに葉を路上かゴミ捨て場に蹴りだしたに違いなかった。
しかし、カラ元気の明るさの後で妙に静かに言った一文はあまりに印象的で・・・。
仕方ないのであの双子の兄と二人暮らしの家のチャイムを連打してやるのは止めた。
かといって自分の家に連れ帰ることなんて論外。
加えて、ここまで止めずに飲ませ続けてしまったことは確かに自分にも責任があった。
だから彼女は精一杯の、そしてこれを機に当分の間ご無沙汰になるであろう優しさで、この泥酔ホストをどっかのホテルの一室に投げ込んでやろうと・・・・思った。
なので適当なホテルを探そうと最後の店を出た。
だが、何とか引っ張ってきた葉が力尽きて、ついに肩にしなだれかかってグースカ言い出したのは事もあろうにラブホ街だった。
出来すぎだ。とアンナは思って、謀られたのかと寝息を立て始める葉の頭を睨んだ。
が、いくら見ても肩にもたれかかる酔っ払いは無害で無邪気で間抜けで子供のようだ。
そういえば、寝顔を見るのは子供の頃以来だ。
あの頃よりは、随分輪郭もはっきりしたし、体も硬くなった・・・と考えて、アンナは染まる頬を振った。

そうだそんなことを考えている場合じゃない。
この状況をどうにかしなければ。
ホテルの前でこんな風にくっついて迷ってるほうがよっぽど怪しいに決まってる。
それにアンナだって早く帰って眠りたいのだ。

「アンナオイラ・・・」
「だから待ちなさいって、あんた!」

話しかけられたのをきっかけに、葉の顔を上げさせてその首を乱暴にホテルの方へねじった。

「ほら!帰りたくないんならあそこで寝てらっしゃい!」

葉はぼんやりと紅潮した顔でホテルを見つめた。
そして数秒おいて、気の抜けた表情のまま、今度はアンナの顔を見つめた。
突然顔が近くなってびくっとしたアンナを見ながら、葉は口をユルっと開いて、にやりとした。

「おお、寝るか」

と言うと同時に葉はアンナの腕を引いて、たった数歩で入り口のビラビラをくぐった。






明るいエレベーターの中で葉はチャラチャラと鍵を鳴らした。
結局葉が手を離さなかったために連れてこられてしまった。
いつの間にかしっかりと手をつないでしまっている。というか葉が離さないのだ。
これじゃ恋人同士だ。あまりにこの場に似合いすぎる。
アンナは俯いて黙っていた。頬が勝手に熱をもっていく。

「どういうつもりよ・・・」

やっと言葉を出せた。葉は酔って機嫌が良いのか歌っていた鼻歌を止め、ちらりとアンナを一瞥した。

「何だお前緊張してんのか?」

無言でビンタが飛んできたのを、酔ってたせいか葉は初めてひょいとよけた。
少し面食らったアンナに、へらっとまた笑顔を向けた。

「まあ飲みなおそうぜ、ちょっと付き合えよ」

チンと言ってエレベーターの扉が開いた。手を握ったままの葉が先に下りてアンナを軽く引いた。

「もう十分よ・・・あたしは、帰るから」

言いながら一緒に降りてしまった。鍵に記された部屋番号は簡単に見つかった。
葉は部屋に入ると壁やら柱やらにぶつかりながらトイレを見つけだすと、体を斜めにしながら入ってドアを閉めた。
アンナはあきれたように息をつくと、部屋のベッドに腰を下ろした。その傍らで無造作に放られた葉の黒いスーツの上着が一緒に揺れて、アンナはそれを見て口を結んだ。
何してるのかしら。早く帰ろう。
立ち上がってドアを目指そうとした時、目の前に壁が現れた。

「え・・・あ!」

その壁に押され、足元がぐらつき、背中からベッドに倒れこんだ。
ベッドは柔らかくて、ぼすんと跳ねただけでどこも打たなかった。仮にどっか痛かったとしても、今はそれどころじゃない。

「よ・・・・・・葉・・・・ちょ・・・っ」

壁の正体は葉だった。
部屋に戻るなり、アンナに覆いかぶさりベッドに押し倒したのだ。
肩の横にある両手の手首を、その手でがっちりと拘束して、至近距離でアンナを見下ろした。

アンナは目を丸くして、口をぱくぱくさせた。

考えないようにしながら、でもこのラブホのネオンを見た時から、していた予感、
双子ホストの片割れ―この弟の方と、自分はまさか今夜、一線を越えるのではないかと。

お互い酔ってこの深夜、いい気分で二人きりホテル街に消えたら、もうやる事は一つしかないんじゃないか
いやいや、まさか、この情けないユルい男にそんな度胸は、
でもこいつだって男なんだし、多少危険はあ・・・・それにしたって、葉だから、葉なら、あたしが拒めばきっと
こば・・・拒めるのか・・・?あたし、いざとなったら自分は・・・だって・・・あたしは・・・多少なりと、・・・いやかなりこの男を好・・・・

アンナの走馬灯のような思考の数々は、見下ろす葉の真面目な顔を見てしゅるるるるーと掻き消えていった。

「アンナ・・・」

吐息のように切ない声でアンナを呼ぶ。
懇願するような顔の横から、ちょっと長い髪がさらさらとこぼれてくる。
女顔と言えば女顔だし、ある種の色気のある目だ、ホストとして人気がつくのも納得できる・・・かもしれない。

「葉・・・」

決めたわ。あたし、決めた・・・
アンナはそっと、葉の頬に手を添わせた。

「アンナ・・・いただきま・・・」

バチーン!!!

響いたのはビンタの快音。
おおう、と頬を押さえて、葉の体が横に転がりのた打ち回る。

「甘いわね!!そ、そんな簡単にあたしが落とせると思ったら・・・!お、大間違いよ・・・!!」

そんな葉を一括して、アンナはどきどきと鳴る胸を押さえた。

「あんたがNO.1になるまで、あたしはどっちのものにもならないんだからね!約束、忘れんじゃないわよ!」

葉はベッドにうつぶせ、頬にもみじを咲かせて、しばし打ちひしがれたように丸まっていたが、ふと、ぼそりと呟いた。

「何で・・・あいつはああなんかな・・・・」

突然現れた名称に、アンナは眉を寄せる。
と言っても、この二人がいて、三人目の登場人物と言ったら一人しかいない。

「どうしたのよ・・・今日のあんたは」

「あいつがさあ・・・・・・・・いやなんでもねえよ」

そうか、この泥酔にも意味があったのだ。
アンナはどこか同情をこめて、横に転がる許婚の片割れを見下ろした。
原因は兄か。
双子ホストの片割れ。
デビューしてから1ヶ月でNO.1に躍り出たという伝説のカリスマホスト。
双子の弟の葉が半年遅くNO.2に辿りついても、その圧倒的な差は縮まらないまま、もう一年になる。

といっても血縁、表向きは、ほとんど仲良くしている。
いや、きっと二人暮らしの家でも仲良くしてるんだろう。
煮え切らないこの男のこと、たとえ多少の嫉妬が根底にあっても、それを顔に出すことなどしまい。

この弱い姿は、いったいどれだけ溜め込んだものなんだろう。
そう思った時、アンナは葉の濡れたような黒髪に、自然と手を伸ばしていた。

「しっかりしてよね」

指先で撫でると、葉の目がこっちを見上げる。

「あたし、とられちゃうじゃない・・・」

「すまん」

澄んだ目で、じいっと見つめる葉。
アンナはそのシャツの胸元がいつもより大きく開いているのを見て、目をそらした。

と、葉の口の端が持ち上がった。

「オイラがNO.1になるまで、っつった・・・よな」

「え?」

「言ったよな?」

念を押すように繰り返す笑顔に、その言葉の真意を知って、アンナは顔が燃え上がるのを感じた。

「じゃ、待っててくれんだな」

真剣な目に、どう答えたらいいかわからなくて、アンナは俯いて、ずっと間を置いて、ついに小さな呟きを返した。

「当たり前よ・・・


その言葉を聞いて、葉は満面の笑みをつくった。
ベッドに沈んでた体を起こして、アンナの肩に手をかけると、再びその体を引き倒した。

アンナが突然の事に短い悲鳴をあげた直後、
葉の口が、アンナのそれを覆った。







名残惜しげにちゅっと音を出して唇が離れると、
アンナは閉じていた目をゆっくり開いた。
睫が震えていた。

葉は一仕事やり遂げると、アンナに覆いかぶさったまま、早々に寝息を立て始めた。



「・・・・・重い・・・・・」



ぽつりと呟いて、アンナは深く、息をついた。























「あー・・・・・いって・・・・」


二日酔いに痛む頭を押さえて、ベッドから体を起こす。
チュンチュン、この大都会にも雀がいるんだなあとか思いながら窓の外を見る。
ん?窓の外?
見覚えのない部屋、と、ベッド。

「どこだ・・・ここ」

と、ぽかんとする葉の横で、脱衣所の扉が開き、葉はそっちに視線を投げ、固まった。


髪を拭き拭き、バスローブを着て体から湯気をあげ、アンナがそこにいた。

「んなっ・・・・・!!!おまっ・・・・!!」

目を点にして、顔を真っ赤にして狼狽する葉に、アンナの中でふと小さないたずら心が芽生えた。
急いで自分の身なりを確認する葉の目前で、顔を覆って、ぺたん、とその場で膝を折る。
おまけに一言追い討ちに、

「覚えてないの・・・・?」

弱弱しい声で言えば、

「えええええええええええええええ!!!!」

葉の悲鳴が、防音の甘いラブホ全体に響き渡った。

「す、すまん、すまんオイラ!オイラまさかそんな・・・ごめんなさい!アンナすまん!!」

一瞬で蒼白になった葉は、アンナに駆け寄り、その体を触って良いんだかどうか迷いながら、必死に土下座する。
覆った掌の中で、アンナは小気味良く舌を出した。
あたしにあれだけ迷惑かけたんだから、これぐらい当然だわ・・・
と、思った矢先、ふわっと体が浮き上がった。

「しょうがねえ!こうなったら、今からやりなおそうアンナ!!!」

ぽかんとするアンナをお姫様抱っこして、意を決したようにベッドへ向かう葉。
アンナを降ろすと、早々にシャツを脱いだ。


「な・・・・な・・・・な・・・・・・・!!!!!」


アンナは口をぱくぱくぱくぱくさせ、拳を握り締めた。

「この馬鹿!!!!!!」

怒号と共に、パンチが炸裂、葉がふっとぶのと同時に、外で雀が、雑居ビルの中を飛んでいった。






















***
前夜の話であった。